SSブログ
風物 雑記 ブログトップ

蚊のでる季節、日本脳炎やマラリヤの・・ [風物 雑記]

新緑のすがすがしい季節を過ぎて、そろそろ梅雨の前触れが訪れるころになると、

わが庭にも水たまりにボウフラがわき、木や草の茂みに入ると、ブーシと、いやな蚊

の羽音を聞くことになる。とたんに夏を意識し蒸し暑さを肌に感じる。


蚊は細い体に長い足のきゃしゃな体つきでヒト様の血を吸う。もちろんヒト様だけではなく、

哺乳類全部の血を吸うという生活力が強い。トカゲやカエルの血まで吸うというから驚く。


これは雌だけで雄はおとなしい?のか吸わない。


また、血を吸うだけではなく、ヒト様にいろいろな病気を媒介する。

マラリヤや日本脳炎などその代表である。


マラリヤは熱帯の熱病の一つで、ハマダラカという蚊が原虫を媒介する。


戦前に南方で生活した人のほとんどが感染した。私が台湾で従事した規那樹栽培は、

マラリヤの治療薬の原料を生産するためのもので、おおげさではな く青春のすべてを捧げて

きたものだが、敗戦ですべてを失った。


日本脳炎は、蚊のなかのコガタアカイエカが日本脳炎ウイルスを媒介する熱病で、

高熱・昏睡などの症状で死亡卒が高い。予防注射などご存じのとおり。



蚊はたんにヒト様だけでなく、家畜やぺットにも大きな被害を与える。

犬の代表的疾患フィラリア症も蚊のしわざである。


フィラリア症はセンビセシチュウ目の線虫で、蚊が媒介して犬の血管に寄生する。

これが次第に増殖して血管をふさいで最後は死に至らしめる。

恐ろしい伝染病で、防蚊の対策ができていないとまずやられる。

罹患後の治療には強いヒ素系の薬品を使うから、

犬にそれに耐えるだけの体力がないと、これで先にまいってしまう。


わが家で長年飼有していたラッシュもフィラリア症で、最後は投薬に体力が耐えられず

息を引き取った。


シオ/ギ油口ラボでも実験用に多数の犬を飼育していたが、金網で囲った部屋の中で

飼有して予防していた。とにかく薬よりも予防設備でないと完全に防止できない。


フィラリヤ症は犬だけと思っている人がいるかも知れないが、ヒトにも伝染するから、

犬を飼育愛玩している人は十分な注意が必要となる。


念のために感染したときを紹介すると、悪寒発熱。頭痛。全身倦怠から、リシパ管の怒張,

破綻となり、血尿や乳酸尿を呈し長期にわたると象皮病を起こすという厄介な病気だから、

くれぐれも用心が肝要となる。


さて、すこしばかり脱線したので、話を蚊に戻そう。

雌の蚊は、相手(獲物)の体から発する炭酸ガス、皮膚の匂い、それに哺乳類の場合は

体温によって存在を知るというから、刺され易いヒトとそうでないヒトが生じる。


化粧品や香水などの匂いから女性の万がより刺され易い。


雄の蚊は、血液のような濃い液体を吸って取り込む構造になっていないから、

ヒトには被害を与えない。果汁など粘度の構い液体を吸う。


夏のタ暮れに、蚊が集まって渦巻き状に、柱のように縦長に飛び回っているのを見ることがある。

これは蚊柱といって夏の風物の一つで、俳句の季語にもなっている。


飛んで。るのはいずれも雄で、ここへときどき雌が飛び込んで未て交尾する。蚊柱は木とか石とか、

ヒトの頓とか、何かを目印にすると言われている。


蚊というと、老人年代で思い出すのほ蚊帳と蚊取り線香で、どちらも今ではあまり見なくなったが、

先日ダイレクトメールの広告に蚊帳の広告があった。蚊帳が少しは見直されて来たのだろうか。

かっては夏の風物というよりほ必需品で、幼いときから戦後しばらくの間まで使用して来た。

子供達も蚊帳を吊ると喜んで出たり入ったりを繰り返して、蚊を蚊帳の中に呼び込んで

騒いだものだが、今では遠き思い出でしかない。


私宅でも古い蚊帳を幾張りか小屋に収めてている。もう不要とは思っても、

愛着があってなかなか捨てられない。

こういう類のものほ、何かにつげて数多く、そのせいで収容力をかなり妨げている。


蚊取り線香も細いのものから渦巻きのものまで使用して来た。皿の上においたり、

豚の陶器の容器にぶら下げたりして蚊刺されを予防したのも

、これまた懐かしい夏の風物詩であった。


いずれにせよ、蚊はやっかいものでブンブンとうるさい。とくに、耳もとてただ一匹が

ブーンとうなるのほ気持ちをいらだたせる。

夏を快適に過ごすには蚊を撲滅する必要がある。

それにはまずボウフラを沸かさないことが第一になる。


わが家の水たまりを消毒し環境を整えて、予防を図りたいと思っている。


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

信州、上高地の旅 [風物 雑記]

信州の代表的な観光地の上高地の旅の思い出、雑記帳から。

今月始めに、章一君からキーホルダーを頂戴した。

それといっしょに旅の風景やおしどりご両人、初孫さんの写真など数葉を頂いた。


旅の写真の中に、上高地のものが5枚あって、過去の思い出をよみがえらせてくれた。


私は幼いときから海には縁が薄く(泳げないせいもある)台湾で山岳生活をしてきたから

山に特別感懐が深い。

山を見ていれば心がなごむというタイプなのだ。

だからジグソーパズルも大半が山岳風景になっている。


その中でも上高地は好きな所のひとつで、毎年のように春先になると

「今年こそ上高地へ行こうや」と二人で話すのだが、

残念ながらここ何年か実現したことほ無い。


草津からは夜行バスで行けば格安で日帰りできるのだが、

なかなかチャシスが無いというか決断できない。

こんな状態を繰り返してもう20年にもなる。


私は何回か行っているが、時それぞれに感動や思い出が胸中を去来する。

中での圧巻は、〇〇がまだシオ/ギヘ通勤していた時代に

信子と二人行ったときで、20年近くも前になる。


10月20日前後の秋たけなわのシーズンで、交通や宿泊の段取りは〇〇が手配してくれた。

旅程は夜行で富山から早朝苗山へ着いて市内を自転車観光し、

午後、新平場温泉で山草栽培の知人を尋ねてから同温泉に宿泊。

翌日はタクシーで乗鞍に登り、安房峠から上高地へ下って明神地まで往復して帝国ホテルに宿泊。

翌日松本経由で帰宅したのだが、全日日本晴れの快晴に恵まれ実に,

快適な二泊三日の旅行だった。


日和が最高なら、紅黄葉また最高で、安房峠のつづら折りを飛騨側から信州側に下る道路からの

眺望は、なににもたとえようの無い美しさであった。


紅葉のあい間から見る焼岳の自噴煙とのコントラスト、秋日の山岳風景美を十二分に堪能できた。


あまりにも快晴のため、乗鞍中腹から見た焼岳が足元からてっぺんまで全ストだったことで、

なにごとも「過ぎたるものは及ばざるがごとし」興をそがれたのが、唯一の残念賞だった。


上高地は春・夏・秋に訪れているが、春はうすら寒く雪解けで足元が不安だし、

夏はヒトヒトで都会と変わらない。



訪れるのは晩秋が最高です。

でも安房峠はトンネルなり、写真で見る限り

大正池の埋もれ立木が減ったようなので寂しい。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感
風物 雑記 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。