清楚でかわいらしい、さくら草とサギ草 [植物 雑記]
昨年春、わが家のサギ草が壊滅したとあきらめていたのが、
奇跡的に別のところで一部が生存していて、それを栽培してなんとかゼ口を免れ、
早春には不義理をしてき た甥の〇〇さんに、球根を送ることができて面目を回復した。
これのお返しではないが、今年早春に〇〇さんからさくら草の銘品三種の球根を頂 き、
家内が鉢植えして育てたとごろ、それぞれが順次開花して楽しませてくれた。
こ こへきてようやく花の命の終焉を迎えようとしている。
さくら草は和洋ともに数多くの品種が作り出されている。
日本吉来のものは花は清楚でかわいらしいが、美しさとなると園芸品種のものにはかなわない。
野生のと言っ ても、今ではほとんど姿を見ることができない九輪草は、
さくら草の仲間で茎も花も 負げないくらいのものもある。
私も栽培したことがあるが、暖かい土地ではうまくいかず、
どうにか花は咲いても色彩にみずみずしさがない。
やはり野に置けれんげ草で、十数年前の盛夏に木曽福島近くの駒の湯温泉の池畔で、
朝霧の中に咲いていた花の濡れたしほらしさに感動した。今でも頭の隅にはっきり残っている。
落合の高福寺の裏庭にも何本か咲いていたのを記憶しているが、
季節が今頃の初夏か晩春のころだっ たように思う。
木曽より季節が早いが標高の差によるものである。
さて、日本さくら草は江戸時代から栽培された古典的園芸植物で、
その歴史は300年にもなる。自生地は主に関東地方で、関西から西にはほとんど自生していない。
現在も荒川の奥には特別天然記念物として保護されているところもある。
私は関東方面 にはほとんどと言ってよいほど出掛けていないので、
こうした自生地や保護地はぜんぜん知らない。
一度見たいとは思っているが、ナマズの騒ぐ恐れがあって予防のため足が進まない。
近く〇〇予知ができるようになり、安全性が保証されたら出掛けることにする。
閑話休題して、さくら草の流行歴史はモノの本によると、
流行の初期から天明から天保の時代(l781~1840)は、
まさに黄金時代、弘化から明治初期(1845~1870)は衰退期、
明治初期から昭和15年は復興期、その後戦争に入って衰遇し、
昭和28年ころから再興期として現在に続いているとある。
幕末とか先の戦争中などの混乱期には一時的に衰退したが、
混乱の中でも好事者の手によって種が維持改良されて来て、
それが現在の大流行期につながっている。
さくら草の品種は数百種類あって、それぞれに固体名がついている。
もちろん日本 的な名前が多く、例えば高根の雪、花車、大和錦など優雅なものから、
色競、桐壺、や勢男、赤鬼馬など色っぽいものまで多種多様ある。
栽培者が勝手に命名したものもあって、
かっては同じものが複数の名をもつものも少なくなかったようだが、
今では登録制が順守され、そうしたことは無くなってきているらしい。
わが家では、さくら草は仲間の九輪草を試作したくらいで、
後は近所から頂戴した洋種のものをプランターに植えた程度である。
銘品と呼ばれるものには手出ししていないが、今回、初めて栽培してみた。
無事開花したが、これは前年の肥培管理の善し悪しに左右されるから、
私の手入れが良かったのではなく、〇〇さんの手入れが万全だからで威張れない。
これからの手入れが来年の開花に影響するわげで、担当者家内のお手並み拝見というところ。
さて、庭にあるサギ草はあちこち産の寄せ集めで、多いのは油日からのものだろうか。
そのほか飛騨、三重県加太、鈴鹿からや、安曇川〇〇さんのお父さんから頂いたもの、
守山の左官屋さんからもらったものなどなどある。葉に麸入りは左官星さんからもらったものである。
昨年のアクシデントで入り交じっていて、今ではどれがどれとの区別できない。
全滅したものもあるかも知れない。鉢数にしてI0鉢球根数にすれば300はある。
目下のところは順調に生育しているものの、夏に開花してからの病虫害が問題となる。
少なくとも昨春の愚を繰り返さぬことはしないと決心 している。
ちなみに、現在の庭には洋シャクナゲ、タカネナデシコ、シラン、ミニバラ、さつ きなどが
和洋折衷で咲いている。きくら、シャクナゲ、エビネ類は終った。
これからは小物の山野草が咲いてくれるだろう。
一茶の句「わが国は 草もさくらを 咲きにけり」
実に日本の良き国を改めて感じさせる。
完
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奇跡的に別のところで一部が生存していて、それを栽培してなんとかゼ口を免れ、
早春には不義理をしてき た甥の〇〇さんに、球根を送ることができて面目を回復した。
これのお返しではないが、今年早春に〇〇さんからさくら草の銘品三種の球根を頂 き、
家内が鉢植えして育てたとごろ、それぞれが順次開花して楽しませてくれた。
こ こへきてようやく花の命の終焉を迎えようとしている。
さくら草は和洋ともに数多くの品種が作り出されている。
日本吉来のものは花は清楚でかわいらしいが、美しさとなると園芸品種のものにはかなわない。
野生のと言っ ても、今ではほとんど姿を見ることができない九輪草は、
さくら草の仲間で茎も花も 負げないくらいのものもある。
私も栽培したことがあるが、暖かい土地ではうまくいかず、
どうにか花は咲いても色彩にみずみずしさがない。
やはり野に置けれんげ草で、十数年前の盛夏に木曽福島近くの駒の湯温泉の池畔で、
朝霧の中に咲いていた花の濡れたしほらしさに感動した。今でも頭の隅にはっきり残っている。
落合の高福寺の裏庭にも何本か咲いていたのを記憶しているが、
季節が今頃の初夏か晩春のころだっ たように思う。
木曽より季節が早いが標高の差によるものである。
さて、日本さくら草は江戸時代から栽培された古典的園芸植物で、
その歴史は300年にもなる。自生地は主に関東地方で、関西から西にはほとんど自生していない。
現在も荒川の奥には特別天然記念物として保護されているところもある。
私は関東方面 にはほとんどと言ってよいほど出掛けていないので、
こうした自生地や保護地はぜんぜん知らない。
一度見たいとは思っているが、ナマズの騒ぐ恐れがあって予防のため足が進まない。
近く〇〇予知ができるようになり、安全性が保証されたら出掛けることにする。
閑話休題して、さくら草の流行歴史はモノの本によると、
流行の初期から天明から天保の時代(l781~1840)は、
まさに黄金時代、弘化から明治初期(1845~1870)は衰退期、
明治初期から昭和15年は復興期、その後戦争に入って衰遇し、
昭和28年ころから再興期として現在に続いているとある。
幕末とか先の戦争中などの混乱期には一時的に衰退したが、
混乱の中でも好事者の手によって種が維持改良されて来て、
それが現在の大流行期につながっている。
さくら草の品種は数百種類あって、それぞれに固体名がついている。
もちろん日本 的な名前が多く、例えば高根の雪、花車、大和錦など優雅なものから、
色競、桐壺、や勢男、赤鬼馬など色っぽいものまで多種多様ある。
栽培者が勝手に命名したものもあって、
かっては同じものが複数の名をもつものも少なくなかったようだが、
今では登録制が順守され、そうしたことは無くなってきているらしい。
わが家では、さくら草は仲間の九輪草を試作したくらいで、
後は近所から頂戴した洋種のものをプランターに植えた程度である。
銘品と呼ばれるものには手出ししていないが、今回、初めて栽培してみた。
無事開花したが、これは前年の肥培管理の善し悪しに左右されるから、
私の手入れが良かったのではなく、〇〇さんの手入れが万全だからで威張れない。
これからの手入れが来年の開花に影響するわげで、担当者家内のお手並み拝見というところ。
さて、庭にあるサギ草はあちこち産の寄せ集めで、多いのは油日からのものだろうか。
そのほか飛騨、三重県加太、鈴鹿からや、安曇川〇〇さんのお父さんから頂いたもの、
守山の左官屋さんからもらったものなどなどある。葉に麸入りは左官星さんからもらったものである。
昨年のアクシデントで入り交じっていて、今ではどれがどれとの区別できない。
全滅したものもあるかも知れない。鉢数にしてI0鉢球根数にすれば300はある。
目下のところは順調に生育しているものの、夏に開花してからの病虫害が問題となる。
少なくとも昨春の愚を繰り返さぬことはしないと決心 している。
ちなみに、現在の庭には洋シャクナゲ、タカネナデシコ、シラン、ミニバラ、さつ きなどが
和洋折衷で咲いている。きくら、シャクナゲ、エビネ類は終った。
これからは小物の山野草が咲いてくれるだろう。
一茶の句「わが国は 草もさくらを 咲きにけり」
実に日本の良き国を改めて感じさせる。
完
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